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対人関係のめんどくせぇ

対人関係の理想は対等の関係だと考えますが、人生の中で数人でも、その関係を築ければ良いと思います.
対人関係

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対人関係には、対個人と対グループ集団が考えられる

対個人の関係

対個人の関係で、もっと重要なこと、それは、その個人が相手の事を、好きか嫌いかということだと思います。
好きであれば、どんなことも許されるし、嫌いであれば、どんなことも許すことができなくなります。

ただ、どちらでもないということも考えられます。
好きであれ嫌いであれ、興味がある対象だということも言えるのではないかと思います。

そして、どちらでもないということは、興味の対象ではないということですね。

対個人のめんどくさい

興味がある個人が、好きである、ならば、めんどくさい対象にはなりにくいのですが、好きだった対象の個人が、ちょっとしたことで嫌いの対象になることが多々あります。

こうなると、本当にめんどくさい人間関係になってしまいます。

私個人は、若い頃は、誰からも好かれたいと思っていましたが、そうすると、自分みたいな優しいタイプの人間は、好かれるのだけれど、ある日突然嫌われることが多々あったのです。

特に、自分のように他者との関係を上下を作らず平等であると考えている人は、他者と接するときは、言動に十分に注意する必要があります。

対グループの人関係

グループの人間関係では、集団心理という厄介な心理状態になることが、めんどくさいですね。

戦争、デモ行進、学校のいじめ、その他の集団で起きる様々な悲劇の裏には、人間の本来持っている集団になった時の心理があると考えます。

私は、集団の中に入るときは、少し外側のポジションを取るようにします。
たぶん、集団の中心に入ったら自分の考えていることが許されなくなるのではないかと思うからです。

集団になると、互いに自分の立場を考えて行動するようになります。
自分の優位性をアピールしながら上下関係を作り、少しでも上の立場になろうとします。

対人関係の良いところ

めんどくさいこともありますが、人間の良いところは、「思いやり」そして「感謝」だろうと思います。

ただし、本来の「思いやり」は、無償の愛でなければならないと思います。

思いやった相手から、何かを返して欲しいと思った瞬間、それは「思いやり」ではなくなりますから。
そして、どんなことでも「感謝」の気持ちをなくしてはいけません。

なんか、宗教じみてきましたが、この考え方は、人間として集団の中で生きていくためには、とても重要なことと考えます。

思いやりのことについて、我々が幼い頃に「小さな親切」という運動がありました。
今になってよく考えてみると、場合によっては「大きなお世話」だったのかもしれないと思います。

「親切にしてやったのに、なんだ、あの態度は」となったのなら、大きなお世話だったのだろうと考えます。

対人関係のめんどくさいところ

「妬み」や「憎しみ」は、本当に醜い人間の心だと思います。
この心の本質は、どうも人間が持つ上下関係が影響するのだと思います。

上下関係か対等か、「妬み」や「憎しみ」は対等で、近い関係の方が顕著に現れるのではないかと思います。
AKB48のようなアイドルとファンが近い関係は、対等な関係になりやすいので、とても難しいのではないかと思います。

福沢諭吉の 「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」の言葉のような理想的な関係は人間の本質である「妬み」や「憎しみ」のような感情をどのように制御できるか、難しい問題だと思います。

では、上下関係を作る人間関係はどうでしょうか?

人は、それぞれ対人関係を作る時に、立場や優位性を考えます。
自分の優位性を高めるために、他人を否定したり、評判を落としたり、悪い噂を流したりします。

そうやって、自分の立場を構築し、集団の中で優位に立とうとします。
でも、そんなことをして、何が楽しいのでしょうか?

対人関係のもっともめんどくさいのは、立場の近い上下関係なんだろうと思います。

対等関係には争いはない

これまでの歴史から、人間は生きるための競争をしてきました.
生存競争ですね.
この生存競争は、自然界でも同様に普通のこととして発生することです.

しかし、競争をする必要がない関係にあっても、余計な争いや言い合い、そして、戦争が起きることがあります.

自分達の勝手な都合で、全く関係のない人まで巻き込んで争うこと.
自分達が一番だと思っているからかもしれません.

もしも、自分と他人がすべて対等な関係であって、理解し、許しあい、尊敬しあえるのであれば、戦争などの争いごとは無くなるかもしれません.

ちょっとした考え方が異なるだけで、争いになることが多々あるのだから、対等な関係は無理なのはわかっています.

ただし、競争と争いを分けて考えることができるならば、

スポーツのような、お互いに不公平のない共通のルールのもとで行う競争でも、過去には、スポーツの勝敗で国同士の戦争になったこともあるが、

人間の全てが、えこひいき【依怙贔屓】のない公平な判断が、できるのであれば、

全ての人と対等な関係を構築できて、争いや戦争のない世界が訪れるかもしれません.

対等関係を作るのは難しい

人間同士が全く同じということはないですから、給料が高い低い、家が大きい小さい、格好がいい、格好が悪い、など、目に見える部分で人間は異なります。

そのなかで、対等というのは、お互いの自分の中で消化することがたくさんあります。
では、どうすれば、良いか考えてみると、互いに尊重し尊敬できる立場になることが対等な立場になれるのではないかと思います。

でも、むずかしいなぁ

cats

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