記事の項目

最近の投稿

現金はめんどくせぇ

電子マネーの登場で現金の利用する頻度が減るはずですが、人間の不安の感情がブレーキをかけるようです.
現金と電子マネー

この記事の項目

お金は便利なツール

便利なものは、使い方によっては危険なものだと私は思っています。

古代では、鋭利な石や金属で物を切る道具は、人を切ることができる、

自動車やバイクは、便利に快適に移動できるが、使い方を誤ると人や物を破壊することができるし、

ダイナマイトは、硬い岩盤にトンネルを開けるときに使われるが、戦争に使えば兵器になる。

原子力は、平和利用できれば、人間に多くのエネルギーをもたらしてくれるが、爆弾として使用するならば、人類を破滅させることができる。

現金は、色々な価値をお金に換算して使うことができる、今の現代社会で最大の便利なツールだと思います。
お金を知るすべての人は、お金さえあればなんでもできると思ってしまいます。
実際に、自分もそのように考えていました。

お金は、便利ですが、扱い方(考え方)を誤ると、とても危険なツールだということです。

お金とは何だろう?

ここで、お金とは何だろうか?と考えてみると

国が価値を保障するツールですね。
どんなことがあっても、一万円札がボロボロになっても、一万円という価値を保障する、価値と価値を等価交換でいるツールと考えます。

では、その価値とは、

よく考えてみると、価値は信用ということが、わかってきました。
信用さえ確保できれば、人間以外の動物でも同じシステムを作ることができるかもしれません。
人間も動物の一部ですが、条件反射というものが備わっています。
条件反射は、小学校で習うかと思いますが、ある一定の経験と結果を結びつけること。
少し高い知能があれば、お金を出すと食べ物がもらえることを、学習できれば可能だと思います。
食べ物とお金が等価交換できることを条件反射で記憶されると考えます。

少し話がずれましたが、

我々人間は、お金で物を買ったり、サービスを受けたり、さまざまなことをできることを条件反射のような経験で記憶しているということです。

このお金の価値は、国が責任をもって保障することで、成り立っているということです。

つまり、お金(現金)は人間が作った信用という名の道具ということになるのです。

現金は面倒臭いですね!

人々は、時代ともに豊かになって、他の人々と交流することで、さらに豊かになってきました。

最初は物々交換でしたが、

輝く希少で加工が簡単な金(ゴールド)そのものの価値を使って物と交換したり、

金貨などの貴重な金属で、取引していたそうですが、流通量が多くなると、さすがに大量の金で取引するのが面倒くさくなります。

現金の紙幣のルーツは、対個人に対した価値を記した紙の書類(債券のようなもの)だったそうです。
紙の書類を差し出すと必ず、同じ対価の金を引き出せる、信用という概念を作り出しました。

現代では、国が作った紙幣やコイン(現金)が、信用の肩代わりをしています。

お金は国が保証してきた信用という価値と、考えることができます。

物が溢れて、世界レベルの物流がどんどん膨らんでくると、現金同士のやりとりは面倒くさいことになります。

銀行同士が、お金の数字を保証して、信用させることができれば、現金のやり取りは必要ないことになります。

信用さえあれば現金は不必要、クレジットカード

クレジットカードというシステムは、クレジットカード会社が信用を保障することで、成り立っています。
銀行の口座から自動的に使用した金額を引き落とすのですが、数字だけのやり取りで、現金をやりとりしているわけではありません。

現金を持ち歩く必要がほとんどなくなったり、換金手数料の無駄をなくしたり、

この場合、クレジットカード会社は、カードを使用した場合に、手数料を収入源にして運営していました。
これらのクレジットカードというシステムを作り、信用を得て、初めて成り立つのですね。

国が保証しない通貨?、仮想通貨

コンピューターとインターネットで作る信用は、ビットコインと言われる仮想通貨ですね。
信用は、コンピューターで作る暗号化とブロックチェーンで作り出します。
要するに、不正ができなようなシステムで信用を得ることでお金の管理をしているということになります。

人間が行う不正を排除できて、信用を得ることができれば、コンピューターの中の電子情報の数値が価値と認められるということです。

仮想通貨は暗号通貨とも呼ばれますが、暗号はコンピューターの進化で複雑化するので、世界のコンピューターのリソースを無駄に使ってしまうことが将来考えられます。

現金は不要になる未来

価値を数値で保証でき、その数値だけで、すべての流通にアクセスできるのであれば、すべての現金は不要になる可能性はあります。

世界のシステムが、インターネットで接続し、資産管理やさまざまな価値の交換をコンピューターで行えるのであれば、現金自体が不要になるかもしれません。

国が保障するお金の価値を仮想化して、コンピューター上で管理できて、さらに、買い物、運賃、さまざまな支払いが可能になれば、物理的なお金は不必要になりますね。

未来の買い物のあり方とは

基本的に、人間だけで無く動物は皆、生きるために食べるという行為が必要です。

食べるために、食物を買うという行為が必要で、これからもなくならないはずです。

お金の仮想化とAIを結びつけると、面白いことが起きると予想できます。

普段の買い物は、店に行って、店で品物を選んで、価格や品物の質を確かめて現金やカードで支払って買って持ち帰ります。

この行為を、将来、AIが発達すると、人間が考えることを過去のデーターから、その人の行動を予想して、品物を選択してくれます。
品物は、配達ロボットが集配するようなシステムが登場するでしょう。
支払いは、自動的に自分の口座から引き落とされることになります。
品物の選択は、ネットから価格や送料、新鮮さの情報等から自動的にAIが選択するので問題はなさそうです。

店舗が必要なのは、高級ブランドや実際に現物を見ないと買えないような趣味的な品物だけになるのでしょうか。

この場合も、わざわざ現金を用意することはないだろうと予想できます。

品物の価格

AIが価格を取得して、買い物をするようになると、人間がいちいち価格を調べることはなくなり、ネットから一瞬で、同じ品物の値段を比べるので、同じ製品ならば、価格のばらつきは、最小限になるだろうと予想できます。

価格競争が、どんどんなくなるだろうと思います。

価格を維持するには、ブランドを高めるようにするしか無くなるでしょう。

未来の貯蓄

AIが個人の貯蓄を管理することも可能かもしれません。

AIが資産の運用も管理できると、リスクを考えながら最適な運用も可能になるかもしれません。
最終的な判断は、個人が行うとして、これまで、知識の高い人が有利だったことも知識が高く無くても、同じような生活水準になるのかもしれません。

AIとお金の電子化によっと、本当の意味での、人間の平等の世界が、訪れるかも知れませんね。

資本主義が貧富の差を加速させたがAIがその差を埋める

AIという頭脳が、人々を助ける未来

2000年くらいから、資本主義社会では、全世界の資産のほとんど数%の資産家が持っているということになっています。

個人個人が情報を活用することで、貧富の差が少なくなるのではないかと、私自身考えてきましたが、実際問題、すべての人が情報を活用できる訳ではなかった。

情報を活用できる知識人と、そうでない人との間に貧富の差が生じるのだろうと考えると、辻褄が合うかもしれません。

しかし、近い将来、AIがその差を埋める可能性があります。

貧富の差を少なくできれば、少しは紛争のような、無意味な犠牲は少なくなると思います。

ただ、富を謳歌している人たちには迷惑な話かもしれません。

本当の美味しい情報は、ネットワーク上にはなく、地下情報で内密で交換されるのかもしれませんね!

現金がなくなる未来

人間の歴史は、面倒なことを少なくして便利にしていく方向に強く動きます。

現金が無くても世の中のお金という価値が問題なくやりとりできるのであれば、現金のない時代が訪れるでしょう。

ただ、心配なのは、電子データーがこれから地球に起こるであろう、さまざまな災害や天変地異、食糧難などに、対処できるのか?

まあ、紙の紙幣も、火事になって燃えれば同じことですが、

最後に残るのは、やはり、金貨などの現物かもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事
めんどくぇ感情

めんどくぇ感情

めんどくせぇ感情というのは、他者からの直接、間接的な感情による干渉であると考えるとうまく説明できる.

噂やデマ

噂やデマ

噂やデマは勝手に一人歩きして、広まります.噂を広めた人には何も害がないことが多いですが、はっきり言って犯罪行為だろうと思います.

固定観念

固定観念を変える

固定観念がブレーキとなって、新しい変化に対応できないのは、人間の性なのだろうか?柔軟な考えができないと淘汰される時代.

対人関係

対人関係のめんどくせぇ

対人関係の理想は対等の関係だと考えますが、人生の中で数人でも、その関係を築ければ良いと思います.

判断の基準

理解できない意見や決定

課題解決よりも、特定の個人に有利な決定がなされるとき、何で?と思うことが過去には多々ありました.

煩悩

煩悩とは なんだろうか

煩悩とは、欲望のかたまりのことかと思っていましたが、自分が思っていたよりも、意味がずれているのかな.

Translate »