「めんどくさい」という言葉
「めんどくさい」「めんどくせぇ」「面倒臭い」という言葉は、世間一般では、だらしない、根性が足りないとか否定的な意味合いを含んだ言葉だということになっています。
やる気のなさのような、悪い言葉のように思われていますが、実際はどうなんだろうか?と、考えてみました。
「めんどくさいな」と思いながらも、過去からの教育方針の影響もあって、その感情に逆らって生きてきたのかもしれません。
「めんどくさい」からと言って、仕事を放棄したり、集団との交流を避けてきたこともありませんでした。
そんな中で、自分の中の「めんどくさい」という感情とは、一体何なんだろうかと徹底的に考察してみることにしたのです。
「めんどくさい」を分類
自分自身がめんどくさい
特に、精神的や肉体的に疲れていたり、他人からの干渉があった場合、考えが行き詰まってしまったとき、
しなければならない時に、なぜか計画通りにできなかったとき、なんでかなと考えていました。
自分が欲していないことをするときに、特に「めんどくさい」と感じているようです。
精神や肉体的な疲労が原因だろうか
どうしてこんな事をしたんだろうと、後悔することや、
行き詰まって、もうどうでもいいや!と投げ出したり
そんな自分がめんどくせぇ
と感じます。
他人がめんどくさい
他人からの干渉、特に否定的な意見は、立場や上下関係であったり、考え方の相違であったりします。
人それぞれ、異なった環境で育ったので、考え方が人それぞれと思いますが、特に自分本位の方には、注意が必要です。
人それぞれ異なる考え方をするのでその違いによるもの
自分の価値観と他人の価値観の違いや、教育で洗脳された国の違いなど、意見の食い違いが大きいほど、めんどくさいかもしれません。
集団に対して
集団には序列ができて、良い悪いにかかわらず、立場の上の人が決定することがあります。
それは、どう考えても違うでしょう!
有識者や肩書のある人の意見だと、何で?みたいな意見でも決定されることがあるのは事実です。
決定や判断に、歪んだ感情を持ち込む人がいると、話はまとまらず、違う方向に行ってしまうことも多々ありました。
集団心理に上下関係ができると、とんでもないことになる事実。
他人の責任にできますからね。
人間の集団心理
人間は、集団で力を合わせて生きる事で、ここまでの力を発揮してきたのですが、ちょっと方向を間違えても、とんでもない力を発揮してしまいます。
デモ、戦争、抗争などは、集団心理なので注意が必要です。
物、モノ、ものがたくさんある時
いらない物が散乱したり、必要な物が見つからなかったり、
物は、自分の大切な時間を消費している事実があって、多くあればあるほど、自分の記憶容量も消費してしまうことがわかってきました。
一度にたくさんのものが目に飛び込んできた場合には、「めんどくさく」なってどうでも良くなってしまいませんか?
物が沢山ある状態や不要なものがある状態
どうでもいいものが、目に飛び込んできたり、たくさんのゴミのようなものが自分の周りにある時にめんどくささを感じる。
習慣や環境、時代の変化
今どき、そんなことどうでも良くないですか、と思う過去の考え、時代や環境から遅れている考え方や、こんなことは常識だよという意見ほど、めんどくさいものはない。
昔はこうだったから、お前らも、同じようにしなさいという人、
極端にいうと「原始時代には、我々はマンモスを食べていたから、現代人もマンモスを食べなさい」と言っているのと同じことだと思います。
環境が変化している状態を感じ取ることができないこと
地球環境が変化したり、技術の進歩で生活環境が変化したりします。
変化する事、変化しない事はどちらもめんどくさい感覚になることがあります。
自分の幼かった頃を思い返し
自分が小さい時の頃の感情を、過去を振り返って考えてみると、「めんどくさい」という感情は、ほとんどなかったように思います。
自分の感情のままに、他人からの干渉を気にせずに(自分勝手だったのかも)、自分が最善と思うこと、自分が欲するがまま行動していたのだと思います。
そう考えると、めんどくさいは、他者からの何らかの干渉を、自分の中で、どの様に思うのか、どの様に感じるのか、だと思うようになってきました。
めんどくせぇ感情というのは、他者からの感情による干渉であると考えます。
直接他者から行動を促されたりする以外にも、自分自身の行動を第三者の目を気にすること、したくないけれど、世間体を考えるとやらなきゃならないことなど、自分自身をよく見せようとすることの中にもめんどくせぇと感じることは多いのだと思います.