「面倒くさい」と「煩わしい」
「面倒くさい」と「煩わしい」は、どちらとも同じような意味の言葉ですが、微妙にニアンスが誓うように思います。
「面倒くさい」の原因は自分自身の中から発生して、「煩わしい」は他人からの干渉が原因のように感じます。
日本の社会では、この二つの「面倒くさい」と「煩わしい」は、悪い感情とされていますが、本当にそうでしょうか?
世の中を知れば知るほどめんどくさい気持ちになる

どうして、めんどくさい気持ちになるのか、ここ数年くらい考えていました。
一つ目は、過去に囚われたやり方や方法だったり
一つは、どう考えたら、そんな考え方が成立するのだろうか?
ひとつ目の、過去に囚われたやり方や方法に関して、
歳を取れば取るほど、やり方が変化することを嫌う傾向にある。
この方法の方が、簡単で間違いが少ないのに、新しいことが普及するのに、10年以上遅れてしまう日本。
『インターネットが普及してからも数年前まで、FAXが標準であった事実』
結局、新しいことを取り入れることができないのである。
ただし、どうにもならない時には、変化できるのだろうと思います。
2020年から続く、新型コロナウイルスの影響で、テレワークやネットショッピング、電子決済などの普及が少しずつ日本の社会にも浸透し始めています。
さらに、デジタル化が進むことが予想されますが、どこかで停止する可能性もあります。
二つ目の考え方
これは、日本の教育だろうと思います。
正解、不正解、良い、悪いと決めつけることは、やはり、変だと感じます。
時代によって環境が変化し、それによって正解が変化していることを理解しないと、今後、生きていくことが難しくなると考えます。
我々が生き抜くには、環境の変化を感じ、時代に合わせて自分自身を変化させていく必要があります。
これは、生きていくためには、当たり前のことであって、自然のことです。
例えば、原始時代の思考の人間が、今の時代を生きれるかどうかを考えて見れば歴然ですね。
ただし、たった一人の原始人ならば、希少価値になって、誰かに生き延びる術を与えられる可能性は高いけれど、日本に原始人が5,000万人、降って湧いたならどうだろうか。
日本社会は島国でガラパゴス化していますが、実際に世界と交流すると知ることができると思います。
ああ!面倒くさい(自分も含めて)